M!LK結成当時の裏話!初期メンバーの脱退と現在に至る激動の軌跡
音楽シーンのみならず、ドラマや映画、バラエティ番組に至るまで圧倒的な存在感を放つダンス&ボーカルグループ・M!LK(ミルク)。エースとして牽引する佐野勇斗をはじめ、メンバー個々の目覚ましい活躍によってトップグループへと駆け上がりましたが、その原点である結成当時は決して平坦な道のりではありませんでした。
スターダストプロモーションの若手アーティスト集団「EBiDAN」から誕生した彼らは、相次ぐメンバーの卒業や体制変更という荒波を何度も経験しています。彼らはいかにして結成され、数々の葛藤を乗り越えて強固な絆を築き上げたのか。結成当時の秘蔵エピソードから脱退の真相、現在の5人体制に至るまでの激動の歴史を紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:M!LKは2014年11月24日にEBiDANの選抜企画から結成され、初期メンバーは佐野勇斗・塩﨑太智・吉田仁人・山﨑悠稀・板垣瑞生の5人。
- 要点2:初期はチラシ配りや小規模ステージなど泥臭い下積みを経験。山﨑悠稀の卒業、新メンバー加入、板垣瑞生と宮世琉弥の脱退など激動の変遷を辿った。
- 要点3:数々の別れと挫折を糧に結束を固め、山中柔太朗・曽野舜太を迎えた現体制で2021年にメジャーデビュー。アリーナクラスの人気を確立した。
【2014年11月結成】M!LK誕生の瞬間とEBiDAN結成秘話
M!LKの歴史が動き出したのは、2014年11月24日のことでした。東京・日本青年館で開催されたライブイベント「EBiDAN 39 & KiDS 星男祭2014」において、突如としてグループの結成が発表されたのです。
スターダストプロモーションの育成プロジェクト「EBiDAN」には、当時すでに超特急やDISH//といった先輩グループが頭角を現していました。その次世代を担う存在として、歌唱力やダンススキル、ビジュアルにおいて群を抜いていた選抜メンバーが集められたのがM!LKの始まりです。
グループ名である「M!LK」には、「何色にも染まることができる」「み!るきーず(ファンの総称)を元気に育てる」という想いが込められています。変幻自在のパフォーマンスと、親しみやすいキャラクターを武器にした王道アイドル路線のプロジェクトとしてスタートを切りました。
M!LK結成当時の初期メンバー5人|当時の立ち位置と活動の軌跡
結成当時のオリジナルメンバーは、以下の5人でした。
- 佐野勇斗(さの はやと):愛知県出身。グループ最年長としてトークを回し、ムードメーカーを担当。
- 塩﨑太智(しおざき だいち):和歌山県出身。卓越したアクロバットとエネルギッシュなダンスでステージを牽引。
- 吉田仁人(よしだ じんと):鹿児島県出身。確かなダンス技術と安定した歌唱力を持つパフォーマンスの要。
- 山﨑悠稀(やまざき はるき):大阪府出身。圧倒的なハイトーンボイスと愛らしいルックスでセンターボーカルを担当。
- 板垣瑞生(いたがき みずき):東京都出身。端正なルックスと低音ボイスを活かし、結成当初から俳優としても注目を集める。
結成初期の楽曲『コーヒーが飲めません』に見られるように、どこかコミカルで可愛らしい少年性を前面に出したプロデュースが特徴でした。しかし、ステージ裏では地方在住のメンバーが多く、東京でのレッスンやイベントのたびに長距離移動を強いられるなど、肉体的にも精神的にも過酷な日々が続いていました。
佐野勇斗の苦悩と奮闘!知られざる結成当時の秘蔵エピソード
現在でこそ連続ドラマや映画の主演を務めるトップ俳優となった佐野勇斗ですが、結成当時はまさに「苦悩の連続」でした。
愛知県岡崎市の実家から東京へ通いながら活動していた佐野は、高校生活や大学受験の勉強とグループ活動の両立に追われていました。新幹線の終電に飛び乗る日々が続き、体力的にも限界に近い状態だったと後に本人が語っています。
当時のM!LKは、ショッピングモールの片隅やCDショップの小さなスペースでのフリーライブが中心でした。佐野自ら街頭に出て、通行人に「僕たちM!LKです!」と声をかけながら手渡しでチラシを配るなど、泥臭い下積みを経験しています。ライブの動員が思うように伸びず、悔し涙を流す夜も少なくありませんでした。こうした原体験があるからこそ、佐野の持つ「ファンを絶対に楽しませる」という強いハングリー精神とプロ意識が培われたのです。
激動のメンバー変遷|山﨑悠稀・板垣瑞生・宮世琉弥の脱退理由と現在
順調に規模を拡大していくかに見えたM!LKでしたが、2018年以降、グループの根底を揺るがす大きな転換期が相次ぎました。
山﨑悠稀の卒業とソロへの道
2018年6月、センターボーカルとして高い人気を誇っていた山﨑悠稀がグループを卒業。公式には「自分の目指す新たな音楽の道を歩むため」と発表され、歌への強いこだわりを持っていた彼自身の前向きな決断でした。卒業後は歌い手やソロアーティストとして独自の音楽表現を追求しています。
7人体制への移行と宮世琉弥の加入
2018年8月、グループに新たな風を吹き込むべく、山中柔太朗・曽野舜太・宮世琉弥の3人が新メンバーとして電撃加入し、7人体制となりました。ビジュアルの強化とパフォーマンスの幅を広げ、アグレッシブな一面を押し出した『BLACK M!LK』などの派生プロジェクトでも話題を呼びました。
板垣瑞生と宮世琉弥の脱退理由
しかし2020年1月、初期メンバーである板垣瑞生と、新加入した宮世琉弥の2人が同時にグループを卒業します。脱退の主な理由は「俳優業に専念するため」でした。2人とも早い段階から映像作品で高い評価を得ており、役者として一本立ちしたいという意志を尊重した円満な旅立ちでした。現在、宮世琉弥は数々の話題作で主演を務める若手トップ俳優として大ブレイクを果たしています。
山中柔太朗と曽野舜太の加入経緯|5人体制で掴んだメジャーデビューへの道
2人の卒業を経て、M!LKは佐野勇斗、塩﨑太智、吉田仁人、山中柔太朗、曽野舜太の5人体制へと再編されました。相次ぐメンバーの離脱にファンの間でも不安が広がりましたが、残された5人の絆はより一層強固なものとなりました。
スカウトをきっかけにEBiDANへ入り、ファッションセンスと透明感あふれるビジュアルで頭角を現した山中柔太朗。そして、三重県から通い続け、明るいキャラクターと熱いハートでグループを照らす曽野舜太。途中加入の2人は、オリジナルメンバーに引けを取らない努力でグループに完全に溶け込み、欠かせない柱へと成長しました。
そして迎えた2021年11月24日。結成記念日に行われたアリーナ公演のステージ上で、ビクターエンタテインメントからのメジャーデビューがサプライズ発表されました。結成から実に7年、幾多の別れと挫折を乗り越えて掴み取った栄冠に、ステージ上のメンバー全員が抱き合って涙を流した瞬間は、ファンの間で今も語り継がれる名シーンです。
【補足コラム】お笑いコンビ「ミルクボーイ」の結成当時(大学時代)との違い
ネット検索において「ミルク 結成当時」と入力すると、2019年M-1グランプリ王者のお笑いコンビ「ミルクボーイ」の情報が関連してヒットすることがあります。
ミルクボーイの結成は2007年で、大阪芸術大学の落語研究会(落語研究寄席の会)で出会った駒場孝と内海崇によって結成されました。学園祭の漫才大会で優勝したことを機にプロを志した経歴を持ちます。ボーイズグループの「M!LK」とはジャンルも結成年も全く異なりますので、情報をリサーチする際は混同しないよう注意が必要です。
【ミルク 結成当時】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:M!LKの正確な結成日と初期メンバーは誰ですか?
A1:M!LKの結成日は2014年11月24日です。初期メンバーは佐野勇斗、塩﨑太智、吉田仁人、山﨑悠稀、板垣瑞生の5人でした。
Q2:板垣瑞生さんと宮世琉弥さんがグループを辞めた理由は何ですか?
A2:2020年1月にグループを卒業した主な理由は、俳優業に専念するためです。アイドル活動と並行して俳優としてのオファーが急増していた中、役者一本に絞って勝負したいという本人の強い意志に基づいた卒業でした。
Q3:M!LKがメジャーデビューするまでに何年かかりましたか?
A3:2014年11月の結成から、ちょうど7年後となる2021年11月24日にメジャーデビューシングル『Ribbon』をリリースしました。インディーズ期間が長かった分、非常に強固な実力とファンベースを築き上げています。
まとめ:結成当時の葛藤を乗り越え、時代を切り拓くM!LKの未来
結成当初の初々しい少年たちは、チラシ配りから始まった過酷な下積み時代、仲間との別れ、そしてグループ存続の危機を何度も乗り越えてきました。幾重もの困難を経験したからこそ、現在の5人が見せるパフォーマンスには圧倒的な説得力と温かさがあります。
佐野勇斗を中心とした個々のマルチな活躍がグループに還元され、グループとしての総合力は結成当時とは比べものにならないほど強大になりました。結成時の想いである「何色にも染まれる変幻自在さ」を武器に、M!LKはこれからもエンターテインメントの最前線を走り続けます。 (出典: ミルク 結成当時(Yahoo!ニュース))