くりぃむしちゅーの原点!名門済々黌高校ラグビー部での出会いと伝説
日本のお笑い界を牽引し続ける国民的コンビ、くりぃむしちゅー。卓越した話術と仕切りでMCとして君臨する上田晋也と、変幻自在のボケとプロデュース力で笑いを生み出す有田哲平のコンビネーションは、テレビ界において確固たる地位を築いています。
長年第一線で活躍を続ける2人ですが、その類まれなる呼吸と信頼関係のルーツは高校時代に遡ります。熊本屈指の伝統校で過ごした青春時代、そしてコンビ結成へと至るドラマには、現在の活躍につながる原点が凝縮されていました。今回は、2人の母校である名門校のリアルや、部活動での運命的な出会い、今なお語り継がれる爆笑エピソードを詳しく紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:くりぃむしちゅーの出身校は、県内屈指の伝統と進学実績を誇る「熊本県立済々黌高等学校」(偏差値70超)。
- 要点2:2人の出会いは高校のラグビー部。共通の趣味であるプロレス談義やお笑いトークで意気投合し、無二の親友となった。
- 要点3:早稲田大学(上田)と立教大学(有田)への進学・上京を経て、上田が有田を熱心に誘い「海砂利水魚」が結成された。
【偏差値70超】くりぃむしちゅーの出身校「熊本県立済々黌高等学校」とは?
くりぃむしちゅーの2人が卒業したのは、熊本県熊本市中央区にある熊本県立済々黌高等学校(せいせいこうこうとうがっこう)です。明治15年(1882年)創立という極めて長い歴史を持ち、熊本県内では熊本高校と並び称されるトップクラスの進学校として知られています。
現在の入試難易度においても偏差値は70超を誇り、東京大学や京都大学をはじめとする旧帝国大学や、早稲田・慶應といった最難関私立大学へ毎年多数の合格者を輩出しています。校名の「済々黌」は中国の古典『詩経』の「済済たる多士、文王以て寧んず」に由来し、多士済々(優れた人材が多く集まること)を意味しています。
文武両道を掲げる同校は部活動も盛んで、野球部は甲子園出場の常連校としても全国的な知名度を誇ります。知性とバイタリティを重んじるバンカラな校風の中で、上田晋也と有田哲平は多感な10代を過ごしました。
ラグビー部での運命的な出会い|プロレス談義から始まった2人の関係
上田と有田が出会ったのは、高校1年生の春でした。2人が入部したのが済々黌高校のラグビー部です。中学時代に別々の学校に通っていた2人は、グラウンドで初めて顔を合わせることになりました。
当時の有田は人見知りで周囲に馴染めずにいましたが、部内でひときわ異彩を放っていたのが上田でした。上田はすでに周囲を笑わせるムードメーカーとして知られており、有田もその存在に注目していました。そんな2人が急接近した最大のきっかけが、共通の趣味であった「プロレス」です。
部室や練習の合間に繰り広げられるディープなプロレス談義や、テレビ番組のパロディトークを通じて、2人の波長は完璧に合致しました。単なる部活のチームメイトを超え、放課後も休日も常に一緒に行動する無二の親友へと発展していったのです。
爆笑必至!済々黌高校時代の伝説エピソード
高校時代の上田と有田は、学校内でも目立つ存在でした。現在テレビ番組で見せる軽妙な掛け合いは、すでにこの頃から完成されていたことが数々のエピソードからうかがえます。
当時から知識欲が旺盛だった上田は、すでに「うんちく」の片鱗を見せていました。部活動の帰り道、熊本のアーケード街を歩きながら、上田が延々と歴史や社会の持論を有田に語り聞かせ、有田がそれに相槌を打ちながら適当にいじるという、現在のトークスタイルの原型が日常的に繰り広げられていました。
一方の有田は、厳しいラグビー部の練習をいかにサボるかに情熱を注いでいました。「腹痛」や「家庭の事情」など巧妙な言い訳を次々と考案しては練習を回避しようとし、真面目に練習に参加していた上田を呆れさせつつも笑わせていたといいます。また、学校祭のステージで漫才を披露して全校生徒を大爆笑させた経験など、2人の才能を示す逸話は枚挙にいとまがありません。
大学受験と上京|早稲田大学(上田)と立教大学(有田)への進路
高校卒業後、2人はそれぞれ異なる進路を歩むことになります。両名とも1年間の浪人生活を経て、東京の難関私立大学へと合格を果たしました。
上田晋也は早稲田大学教育学部へ進学、有田哲平は立教大学法学部へ進学しました。熊本の同級生コンビが揃って首都圏の有名大学へ進学したことは、済々黌高校の高い進学実績を裏付ける結果でもありました。
しかし、大学進学後に2人の人生は大きく舵を切ることになります。上田は以前から抱いていた「お笑い芸人になりたい」という強い夢を捨てきれず、大学の授業に身が入らない日々を過ごしていました。そして自らの将来を真剣に見つめ直した結果、大学を中退してお笑いの世界へ飛び込む決意を固めます。
コンビ「海砂利水魚」の結成秘話|有田を口説き落とした上田の熱意
芸人を目指すことを決めた上田が、相方として思い浮かべたのは高校時代を共に過ごした有田ただ一人でした。上田は立教大学に通っていた有田の元を訪れ、「一緒に芸人をやろう」と熱烈に誘いかけます。
当時、弁護士や公務員などを目指して法学部に在籍していた有田にとって、それは将来を大きく左右する決断でした。最初は半信半疑だった有田ですが、上田の熱意と「お前と一緒なら絶対に売れる」という言葉に背中を押され、立教大学を中退して芸能界入りを承諾しました。
こうして1991年、お笑いコンビ「海砂利水魚(かいじゃりすいぎょ)」が誕生しました。名門進学校から難関大学へ進み、それを中退して芸人の道を選ぶという異色の経歴は、当時の若手芸人の中でも際立っていました。その後、番組の改名企画を機に「くりぃむしちゅー」へとコンビ名を改め、平成・令和を代表するトップ芸人へと駆け上がっていきました。
地元・熊本と済々黌への深い愛着と今なお続く絆
全国区のスターとなった現在も、上田と有田の母校・済々黌高校への愛着は変わりません。テレビ番組やラジオでも折に触れて母校の名前を出し、後輩たちへのエールを送っています。
2016年の熊本地震の際にも、上田・有田はいち早く地元への支援活動を行い、チャリティや寄付を通じて復興に尽力しました。また、高校時代のラグビー部仲間や同級生たちとは現在も交流が続いており、同窓会に顔を出したりプライベートで連絡を取り合ったりしている様子が度々語られています。
多感な高校時代に培われた教養、そして厳しい部活動の中で育まれた絶対的な信頼関係があるからこそ、くりぃむしちゅーは30年以上にわたってコンビ仲の良さを維持し、お笑い界の第一線で輝き続けています。
【上田 有田 高校】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:上田晋也さんと有田哲平さんは高校時代、先輩・後輩の関係だったのですか?
A1:いいえ、2人は同じ学年の同級生です。済々黌高校に1985年に入学した同期生であり、ラグビー部で出会って以来、対等な親友として関係を築いてきました。
Q2:済々黌高校のラグビー部でのポジションはどこでしたか?
A2:上田さんはバックス(主にスタンドオフやセンター)、有田さんはフォワード(主にプロップやロック)を務めていました。運動能力の高かった上田さんと、体格を活かした有田さんという、部活でもそれぞれの個性が分かれていました。
Q3:2人は高校時代からコンビを組んでお笑い活動をしていたのですか?
A3:本格的なアマチュアコンビとしての活動はしていませんでしたが、文化祭のステージで漫才を披露したり、部活の合間にプロレスのパロディコントを行ったりしていました。正式なコンビ結成は、大学進学後の1991年(海砂利水魚結成時)となります。
まとめ:済々黌高校での出会いがお笑い界のトップランナーを生んだ
くりぃむしちゅーの2人が歩んできた輝かしいキャリアの根底には、熊本屈指の名門・済々黌高校で過ごした濃密な青春時代があります。高い偏差値を誇る進学校ならではの知性と、ラグビー部で培ったタフな精神力、そして何よりも放課後の語らいで磨かれた笑いのセンスが、現在の司会者・タレントとしての圧倒的な実力に結びついています。
互いの才能を認め合い、大学を中退してまで夢を共にした2人の絆は、結成から30年以上が経過した今も色褪せることはありません。これからもテレビ界を牽引し続けるくりぃむしちゅーの活躍から目が離せません。 (出典: 上田 有田 高校(Yahoo!ニュース))